津軽三十三観音霊場をめぐる旅

 木造から月夜見神社へ

2017年9月21日

12番札所に向かって車を走らせる。木造の町から北上して、金竜寺を目標にしてゆく。集落の中に用水路のような流れが続いている。これが出精川で、この流れに沿って北上すると目印の金竜寺があった。ここから札所は近い。
家並みが尽きるところに林に囲まれた神社があった。これが12番札所のある月夜見神社であった。
新しい石の鳥居があって、この後ろに赤い鳥居が二つ重なっていた。この奥に拝殿があある、掲げられた額には月夜見神社とかかれていた。札所はこれでいいのか…と思ったら、隣にいかにも安っぽいつくりの赤いお堂があった。「津軽第十二番蓮川観音堂」という看板が掲げられていた。





 蓮川観音堂へ参拝

観音堂は中に入ることができて、お堂の中にはたくさんの千羽鶴が下げられていた。ろうそくを灯して、線香をあげて、読経した。
さて、ご朱印は神社から十数メート離れたところにある工藤さん宅でもらえるとガイドブックにあるのだが、その家がわからなくて集落の中をかなりウロウロしてしまった。いかにも不審者で、警察に通報されるのではないかと心配してしまった。


 蓮川観音堂について

「寛延巡礼記」には、「本堂三尺四面。正観音。御宮のうち鳥居一カ所あり。棟札正徳3年とあり、東向き。村建立なり。寺は禅宗正徳院」とある。
正徳3年(1712)、正徳院とともに再建されたということである。その後、正徳院は廃され観音堂だけ残されたが、村の産土神としてばかりではなく、郡中からも多くの信仰を集めていた。
 蓮川に観音堂ができたころは、付近はアシガヤが茂る荒れ地だったというが、藩政のころ、木造奥新田の中にあった蓮川観音堂は、急速に信者の数を増やし、寛延年中(1746-51)には、それまで十九番札所だった飯詰観音堂に代わって、三十三所に加えられ、十二番札所となった。
正徳院がなくなった後、深浦円覚寺社人・工藤近江が別当として観音堂を管理していた。多くの参拝者が集まり、にぎわいを増すとともに社務所も広大になり「五間屋敷」と呼ばれていたという。
昭和32年、蓮川の集落は大火に見舞われている。月見野神社も「五間屋敷」もその中の社務所も類焼した。集落のはずれから出火し、観音堂も火の粉をかぶったが、大木のおかげであやうく類焼をまぬがれた。この大火を見ていた集落の人は「聖観音の霊が大木に移った」と言い、ますます観音信仰を深めたという。

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