津軽三十三観音霊場をめぐる旅

 津軽西海岸から木造へ

2017年9月21日
西海岸観光で、けっこうゆっくりしてしまったが、11番札所の髙城八幡宮に向かう。
日本海を左に眺めながら快適に北上して鯵ヶ沢に着く。ここから内陸部に入ってゆき、木造をめざす。五能線の中田駅と木造駅の間に髙城八幡はあるのだ。
神社の前に着いたのは8時45分であった。
真新しいコンクリートの鳥居がたっていて、その後ろに赤い鳥居が隠れていた。この神社の前にはりっぱな石碑がたっていた。みると、「弥三郎節の碑」と刻まれている。
そういえば青森の民謡弥三郎節の冒頭に「木造新田の下相野…」という歌詞があった。まさしくここが木造新田の下相野なのだ。

天保の頃、下相野村の西橋に百姓の弥三郎夫妻が住んでいました。妻は大間村の万九郎から箪笥・長持・鉄箱などを揃えて両親が貰ってくれた嫁御でしたが、弥三郎の両親は嫁御を牛や馬のようにこき使いました。嫁御は夜明け前から草刈りにやられ、日中は田畑の仕事をさせられ夜草刈りにまで出される毎日でしたので、十本の指から血が流れ落ちる始末でした。
また、村のお祭りにも髪油もつけさせず、日に三度のご飯もつめられ、来る日も来る日もいびられ、にらみつけられたりしました。こんな両親のむごい仕打ちに耐えられなくなった嫁御はとうとう泣く泣く離縁して貰ったのでした。

 境内を参拝する

赤い鳥居をくぐって境内に入ると、赤いトタン屋根のお堂があった。お堂の左の柱には「髙城八幡宮」、右の柱には「第十一番札所如意輪観音」と書かれていた。
この前で姿勢を正して読経した。
境内に龍を刻んだ石柱がたっている。これは、観音像をめったに拝観できないため、氏子たちが昭和32年に立てた龍頭観音なのだという。
ご朱印はこの神社の向かいの宮司宅にあるのだった。


 髙城八幡宮について

寛文5年(1665)に勧請(神仏の分霊をお迎えして新たに祀ること)し、下相野観音堂と称して、旧津軽藩三十三番の札所の一つ。第十一番として信仰された。
観音像は如意輪観音で、地域住人の産土神となり、家内安全・五穀豊穣の守護神として参詣されている。

神社祭神
○誉田別神(応神天皇)
○倉稲魂命(稲荷大明神)
○如意輪観音菩薩
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