津軽三十三観音霊場をめぐる旅

 岩木山求聞寺へ向かう
2017年9月20日

三番札所は岩木山神社のすぐ隣りである。来た道を少し引き返して、左に入る細い道を行く。リンゴ園の中の道で、すぐ目の前に岩木山が大きくそびえている。三本柳温泉を経由して、弘前から百沢に伸びる県道3号線についた。
この県道を東に少し走ると岩木山神社の前の広場があって、少し行くと橋があるので、この手前を左折して、その先で赤い鉄の橋を渡ると、そ求聞寺の駐車場があった。
ここに車を置いて、緩やかに坂道を上ると、鬱蒼とした杉林に入ってゆく石段があった。
求聞寺の標識があって、石灯籠と石の鳥が立っている。参道には幟が並んでいて、参道に沿って石仏も並んでいた。これを一体一体拝みながら石段を上ってゆく。
夫婦杉という根本は一緒の杉の巨木があって、ここからさらに3分ほど上ると求聞寺の境内に着いた。


 参道にあった西国三十三所の観音像

 境内を散策する
境内に入ると、左手に本堂がある。本堂の前、両側には狛犬…ではなくて、牛と虎の像が置かれていた。丑寅の方角を守るという意味らしい。
本堂ににかかる扁額には虚空菩薩とかかれていた。でも、観音霊場としては聖観音なのだ。
本堂の右にはまだ白木の残る小さなお堂がたっている。これが観音霊場の聖観音が祀られるお堂である。この前で、姿勢を正して読経した。
絵馬堂もあって、鮮やかな色彩の絵馬が壁いっぱいに飾られていた。境内には鐘楼もあるのだが、すごく木組みががっしりしたものであった。
このお寺は有人なので、納経は簡単にすますことができた。

 岩木山求聞寺について
求聞寺は真言宗智山派の寺で、本尊は古くから虚空(大空)のように広大無辺の智慧と福徳を授けるという虚空蔵菩薩である。
山号は岩木山、明治4年(1871)に廃寺となった岩木山百沢寺の流れを汲むものであるが、その開創は寛永2年(1625)津軽二代藩主信枚が子孫長久と国土豊穣を祈願して求聞持法の荒行を行ったのが始まりという。念願成就した寛永6年、この地に虚空蔵堂を建立した。
求聞寺は古くから「百沢の虚空蔵様」と親しまれ、丑寅生まれの一代様として、また津軽三十三観音霊場の第三番札所としても知られている。
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