津軽三十三観音霊場を行く

 石の鳥居から狛犬の門へ

2017年9月20日

二番札所の多賀神社に向かう。弘前市内に戻って県道28号線に出て、これを西に向かって走ってゆく。岩木川に沿った道が続き、橋を渡って桜庭の集落に入ると赤い鳥居が見えた。これが二番札所清水観音がある多賀神社である。
石の鳥居のすぐ後ろに鮮やかな朱の鳥居があって、その後ろ左に神社の社務所があった。御朱印はここでもらったらいいのだ。
杉林のなか、急な石段を上ってゆくと左に簡単なつくりの門があった。門の左右には馬の石像があって、この門をくぐって急な石段を上る。
ひと上りすると、今度は狛犬の置かれた門があった。この狛犬は弘前市指定の有形文化財なのだ。


神馬の門からさらに石段を上ると狛犬の門がある。

狛犬とは仏教伝来とともに日本に伝えられた獅子の一種で、通常は口を開けた阿(雌)と口を閉ざした吽(雄)の一対が配される。
この多賀神社の狛犬には「寛文4年卯月吉日」の銘があり、笏谷石(福井県のみで産出)で作られている。弘前八幡宮・熊野奥照神社のものと年紀・石質、形態が同じで、いずれも弘前市の文化財に指定されている。

 心願池所と清水観音堂
狛犬の門をくぐったところで右折すると、舞台づくりの立派なお堂がそびえていた。これが目指す観音堂である。
石段を上ったところに湧水があった。「心願池処」という表札がたっていて、「清水龍神大神」という標識もあった。この水を柄杓ですくって飲んでみたら、冷たくておいしかった。
ここから舞台はすぐ近くである。
観音堂で手を合わせ読経した。

 多賀神社清水観音について

多賀神社は、もとは清水観音堂とよばれ、坂上田村麻呂の創建と伝えられるが、実際は慶長10年(1605)、弘前藩二代藩主津軽信枚の創建と考えられる(最勝院支配堂記帳)。
神仏分離により、明治3年(1870)多賀神社と改称した。
その後、観音霊場の復活により、津軽三十三観音二番札所となった。

本殿の高楼は、寛文3年(1663)に4代藩主津軽信政が、京都清水寺の舞台を模して造らせたといわれる。
本殿の背後には巨岩があって、そこから飛瀑ととなった清水が参道沿いに流れ落ちている。
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