奥の細道をゆく 
元禄2年4月19日滞在】(太陽暦6月6日)

那須温泉→いでゆ橋→盲蛇岩→千体地蔵→殺生石→石の香橋→九尾稲荷→昭和天皇歌碑→那須の五葉松→芭蕉句碑

芭蕉はこの湯本で五左衛門に宿泊し、翌日はこの地に滞在して、五左衛門に殺生石や温泉神社を案内してもらってのんびりしているのだ。私は朝一番で散策して、すぐに白河関に向かった。



 殺生石
テントを撤収中


いでゆ橋を渡って殺生石へ


盲蛇岩


千体地蔵


殺生石


BACK 高久から湯本へ

200843

5時半に目を覚まして、テントの撤収をした。今日は白河の関までの41kmを歩かなければいけないので早起きしたのだ。黒羽から奥州街道をそのまま北上してくれていたらラクだったのに、芭蕉が殺生石なんか見たがるものだから、すごい遠回りだ…ブツブツ。
41kmということは、休憩なしで歩いても10時間以上かかってしまのに、重いザックを背負った私だったら12時間以上かかりそうである。でも、芭蕉が那須湯本を出発したのは9時頃だったらしい。芭蕉ってどんなに早足だったのだと思ってしまう。
芭蕉が旅をしたこの当時、成人男子の一日の歩行距離は10里が一般的だったらしい。でも、私が芭蕉の健脚ぶりに驚いてしまうのは、すさまじく足が速かったということなのだ。芭蕉は次の宿泊地にたどりつくために歩いているのではなくて、歌枕の地を訪ねたり、名所・旧跡を巡ることを目的にしている。その地ではただ通過するわけではなくて、俳人として歌を詠んだり、思索をめぐらしたりするだろう。そういう時間というのは思った以上にかかるもので、私の今回の旅でも30分から1時間はかけしまうのだ。そんな時間を考えると、芭蕉は1時間6kmくらいの速さで歩いたのではないかと思ってしまうのだ。
芭蕉は伊賀上野の出身だったことから忍者であったという説がある。本当かもしれないと思ってしまうのだ。

ともかく、今日も日が暮れるまで歩くことになりそうなので、早立ちするしかない。
6時にザックを背負ったが、まず殺生石を見に行く。
駐車場から遊歩道を歩いて行く。火山性の荒涼とした岩礫帯が広がっているのだが、そこには雪がたくさん残っていた。
歩いて行くと「盲蛇岩」があった。この殺生河原にあるのは殺生石だけではないのだ。昔、めくらの蛇を助けたことで湯の花のつくりかたを教わったという言い伝えがある。この石の形はめくらの蛇に似ているのだというのだが、どう眺めてもただの岩にしか見えなかった。
遊歩道を歩いて行くとたくさんの石地蔵がたっている。でも、よく見るとこのお地蔵様は最近たてられたもののようである。
遊歩道のつきあたりに広場があって、柵の奥にあるのが殺生石である。芭蕉はこの巨石の周りにはたくさんの虫の死骸が重なり合っていたと書いているのだが、今日は雪で覆いつくされている。芭蕉の句碑もたっていた。
  いしの香や なつ草あかく 露あつし
この句は奥の細道には載っていないのだが、曾良日記に記されたものである。
殺生石の付近では硫化水素の毒ガスが噴出しているため、九尾の狐の呪いという伝説が生まれたのだが、今は有毒ガスの噴出量もずいぶん少なくなったらしい。
殺生石の前から左の遊歩道を行く。この山の斜面につけられた道は那須温泉神社への近道なのだ。




 温泉神社
石の香橋


温泉神社の石の鳥居


九尾稲荷


温泉神社参道


温泉街を下って行く


「石の香橋」を渡ると温泉神社の鳥居がある。
那須温泉(ゆぜん)神社というのは、那須与一が屋島で扇を射たときに祈った神社だという。与一が祈ったのは黒羽にあった那須神社だと思っていたのだが、この神社だという説もあるのだ。平家物語には


南無八幡大菩薩
別しては我国の神明、日光権現、宇都宮、那須の温泉大明神 願わくはあの扇の真中を射させてたはせ給え


と祈ったという。確かに、この温泉神社のような気もする。でも、那須与一は知ってる限りの神々の名前をあげて祈ったようで、神頼みもここに極まれりだと思ってしまう。
石の鳥居をくぐった先は完全に雪道であった。左下には殺生河原が広がっていて、展望はすばらしい。山の斜面のトラバース道が続き、右折すると温泉街からの参道にぶつかる。
この角には九尾狐稲荷があった。赤い鳥居がいくつも重なる奥に小さな祠がおかれていた。
この稲荷社の手前には昭和天皇と皇后の歌碑がたっている。

参道の左には栃木の銘木百選の「那須の五葉松」があった。すっきりとした松である。私はこうした銘木や巨木がかなり好きなのだ。
参道を下って行くと、右に芭蕉の歌碑がたっている。その歌碑までの道は完全に雪におおわれていて、踏み跡もなかった。自然石の句碑で

  湯をむすぶ 誓いも同じ 岩清水

この句も奥の細道にはないのだが、曾良の日記にあるものである。
芭蕉はこの温泉神社で、神主から那須の与一の鏑矢などの宝物を見せてもらったりしているのだ。
参道を下って温泉街に出る。まだ6時半で人通りがほとんどない。那須温泉で最初に発見された「鹿の湯」に寄りたかったのだが、わからないままに通り過ぎてしまった。
昨日暗い中を歩いてきたのだが、こうして明るい中を歩いてみるとすごく急な坂を登ってきたのだということがわかる。那須温泉は山の中の温泉なのだ。
時間は6時半、これから41kmを歩かなければいけない。



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