津軽三十三観音霊場をめぐる旅

 急な石段を上って神社拝殿へ

2017年9月20日

次の8番札所も高倉神社というのだが、けっこう距離がある。国道103号線に出て、これを走って鯵ヶ沢を過ぎ、さらに日本海を右に見ながら車を走れせて、陸奥赤石駅の手前の信号を右折する。細い道を線路沿いに走って、陸奥赤石駅からくる広い道と具流すると、道の左に石の鳥居があって、そこに高倉神社という石標がたっていた。そこに赤石城の案内板もあった。黄色い稲穂の中に続く道を行くと、巨大な銀杏の木がそびえていた。樹齢800年、幹回り8mという巨木で、鯵ヶ沢町指定文化財になっている。
ここに神社への上り口がある。赤い鳥居があって、その後ろには青銅の観音像が立っていた。
深い樹林の中に急な石段が続いていて、これを登り切ると、高倉神社拝殿があった。

乳根が垂れるイチョウの古木


雨で暗くなって、光量が足りなくて写真はピンボケになってしまった


 高倉神社に参拝

雨も降り出して、すごく暗くなってきた。写真を撮ったが光量不足で、ピントがぼけてしまう。
観音堂は…などという詮索はどうでもよくなって、ともかく神社の前で読経して、早々に切り上げた。
ただ神社の前には納め札の小屋もあったので、間違いないのだろうと思う。
急な石段を急いで下って、車に着いたらほっとした。


 日照田高倉神社について

高倉神社の神殿は一間四方、この中に木像座像の十一面観音が納められている。古仏であり、鎌倉時代以前に彫られたものだろうという。
日照田十一面観音は大同2年(807)2月、坂上田村麻呂が創建したという伝説を持っている。この地の開田が進むにつれ、住民が再建したと考えられ、万治2年(1659)に堂宇建立―の記録もある。
日照田の観音さまは、屈強な若者に姿を変えて田畑に降り、田植えや稲刈りを手伝ったという。観音さまが手伝うと10日の農作業も5日で終わったというのだ。
津軽三十三所にも初めから加えられており、寛延年間(1748-51)までは十三番であった。その後の再編で八番札所となっている。 しかし、明治初年の神仏分離令で観音像は上納を命じられ、堂舎は高皇産霊尊を祭る高倉神社の神殿にされたのである。もっとも廃仏毀釈の風潮が薄れると、観音信者たちは高倉神社に十一面観音像を安置して八番霊場を再興した。これは仏体没収の際、神官が隠しておいたもので、上納したのは本尊の前に立っていた千手観音像だった。観音さまを守っててきた日照田の人に感謝。
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