津軽三十三観音霊場をめぐる旅

 鳥居から急登して境内へ

2017年9月20日
次の六番札所高倉神社に向かう。札所は岩木山の山麓を時計と反対周りに続いているのだ。
そして、札所は神社と併設されているものが多い。五番の巌鬼神社もそうだったが、観音様にお参りせずに、神社のお参りだけですませてしまいそうだ。注意しなければいけない。
五番から県道(高杉街道)を西に向かって9kmほど走らせると、大きな看板があって、ここで左折する。集落の中に再び看板があって、すぐ近くに赤い鳥居があった。これが湯舟高倉神社である。高倉神社はけっこう多くて、7番も8番札所も高倉神社なのだ。
神社の石段の前に少しだけ駐車スペースがあったので、ここに停車。
急な階段が林の中に伸びている。手すりのつけられていたので、これにすがって上って行った。
石段が終わると赤い鳥居があって、そこは開けた台地に上であった。



 高倉神社境内

赤いペンキが剝げかっかた鳥居の奥に神社の拝殿があった。この前には石灯篭と狛犬が一対ずつ置かれている。 
念のために拝殿の後ろを見てみると、コンクリートブロックを積んだ本殿であった。
拝殿には中に入ることができる。正面に三十三所観音の幟も掲げられているので、これでお参りしてもいいようだ。姿勢を正して読経した。
外に出ると、拝殿の右側には納め札の奉納場所もあった。
そして、猿田彦や庚申と刻んだ石碑もあった。
急な石段を下って、車に戻る。神社から道路を挟んだ向かいに納経所があった。
ほとんどの場合、納経捺印所は無人で、置かれてある朱肉とスタンプを自分で押すのだ。募金箱のような木箱が置かれているので、そこに200円を入れる。四国や坂東では納経所の人が毛筆で本尊名や日付などを書いて、朱印を押してくれるのだが、ここではそういうことはない。文字はすべて印刷されていて、朱印を押すだけなのだ。ずいぶん簡単なのだ。




 湯舟高倉神社について

「津軽三十三所順礼」によれば
「堂三尺四面、南むきなり。石仏なり。昔、この所に鬼神太夫と申す鍛冶、刀を打ち、悪魔を退治つかまつる。石とならせたまい、観音を祝い奉る。地より生い出たまいしゆえ、堂は鞘堂なり、それより奥に刀を打ちたまいし湯舟あとあり。」と記されている。
  【寛延4年(1751)、弘前本町の甚五郎の記述】

簡単に言うと、昔この地に「鬼神太夫」という刀匠がいて、その刀の威力で村人を悩ましていた悪魔(鬼)を退治して救ったということだ。
そして、その技術で村人の生活は大きく向上したのだそうだ。
この報恩感謝の為に、村人達は刀匠を『観世音菩薩』とあがめたという。これが湯舟観音堂の由来(はじまり)で、村人は最も刀匠と縁の深い鉱滓(こうさい)を固めて石仏とし、観世音菩薩のご尊像としたのだという。

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