津軽三十三観音霊場をめぐる旅

 巌鬼神社へ

2017年9月20日

高杉の集落から県道31号線を走ってゆく。10kmほど走ると十面沢集落に着いて、その北の外れで標識に従って左の道に入る。1kmほど走って小さな沢を渡ると立派な神社が見えた。これが巌鬼神社である。
大きな赤い鳥居をくぐって、鬱蒼とした杉林の参道を行く。
本殿が見えてくる。この前には赤い鳥居が三つ重なって立てられていた。
参拝しようとしてふと左をみると、すばらしい杉の巨木が二本立っていた。昭和31年5月に、県天然記念物に指定された大杉である。樹齢千年以上、高さ41mを越える巨大なもので青森県内最大であるという。三十三観音の巡礼者をはじめ多くの人々の信仰を集めているのだ。



 神社の拝殿
あらためて、本殿の前にたって読経をしようとして本殿の中に入れるとわかった。せっかくなので、中に入ってみると普通に神社の祭壇がある。私は観音様にお参りに来たのだが…と思ったら、祭壇の左に観世音と染めた幟がまとめて立っていて、そこに小さな厨子が置かれている。これにお参りしたらいいのだった。
さて、御朱印であるが、これは神社からいったん外に出て、右にある民家でもらうのだ。この民家は宮司宅なのである。

一般民家だが、ここで御朱印をもらう

 巌木山神社のこと

巌鬼山神社の由緒は古く、延暦15年(796)、岩木山北麓に巌鬼山西方寺観音院が建立されたことに始まり、坂上田村麻呂の蝦夷平定祈願のため再建されたと伝えられる。
また、文安年(1448)に社殿が野火によって焼失したが長見氏によって再建、その後、藩祖津軽為信が修復したほか、慶長9年(1604)にはその子信建が「津軽総領主宮内大輔藤原臣」銘の鰐口(県重宝)を奉納している。
やがて、百澤寺に併合されたが、神社は元禄4年(1691)に氏子によって再興され、明治6年(1873)巌鬼山神社と改称した。
本殿や厨子は、近世津軽地方の小仏堂が神社に変わった典型的なもので、細部の様式なども時代の特徴を残している。
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