■真言宗大覚寺派 ■開基/弘法大師
■御本尊/薬師如来
昭和34年に全焼したが、入母屋造りの堂々とした建物で再建された。山門は約200年ほど前に建立されたもので、総欅造りである。
     ■第39番札所 延光寺から 54.0km
     ■愛媛県御荘町平城2253-1
     ■TEL 0895-72-0416


BACK 39番 延光寺


45日(20日目)

今日で、歩き始めてから20日目になる。
なにかしら夢のような日々だったような気がする。
泊めてもらったお堂を去るにあたって、お大師さまに手を合わせて、それから堂内を掃除し、お堂の扉を閉めた。閂をかけるのだ。
出発は6時半。
少し行くと、
土佐の国と伊予の国の国境の石柱があった。今日から伊予の国に入るのである。伊予の国は「菩提の道場」という。
峠からはゆるやかに下って行き、車道に出る。この車道を歩いて行くと、一本松の町の中に入って、自分がたどる遍路の道がわからなくなってしまった。
地図と磁石で方向を確認して、ようやく現在位置を確認。大盛屋という宿の看板で位置がわかった。
国道56号線に出て、この道をひたすら歩く。
途中2つのトンネルを抜ける。9時頃、ようやく御荘町の家並みが見えてきた。国道に沿っていろんなお店が並んでいる。都会に来たという感じになってきた。
道路標識に従って右折して、10分ほど行くと、正面にお寺が見えてくる。
遠くからも団体の遍路が大勢いるのが見えた。団体と一緒かと思うと、気が重くなった。
お寺に向かって行くと、川を渡るのだが、その前に大きな観光バスが停まっている。あの団体遍路のバスのようなのだが、ここから道は狭くなって、大型バスは入れないようだ。
境内に入ると団体遍路が本堂の前で読経の最中であった。納経は少し時間をずらすことにして、休憩。950分になっていた。
お参りを済ませて納経所を探したがみつからない。訊いたら納経所は本堂の中にあるのだそうだ。意外と待たされずに朱印をもらうことができた。
私の納経がすんだら、団体の添乗員らしき人が2つのバックにぎっしりと納経帳を持ってやってきた。この後にならなくてよかった…。
1015分、観自在寺を後にして国道を行く。そうしたらレストランJOIFULLを見つけてしまった。ここで、朝食兼の昼食をとることにした。
このファミレスはランチが安くて、コンビニ弁当よりも安くつくのだ。
12時にここを出発。
今日も余裕の歩きである。実は時間調整をしている。4月8日に十夜ヶ橋に着けばいいと思っていて、それよりも先に行ってしまうとJR線がないのだ。
町の中でロープウェイの看板があった。どうしてこんなところにロープウェイがあるんだと思ってしまうのだが、あわせて「紫電改保存館」の看板も見た。寄って行こうかと心が動いたが、先を急ぐことにした。
海に沿って歩いて行く。峠を越えて下って行くと東屋があったのでここで休憩。そこにはお遍路が一人休憩していた。少し話しをしたが、この人はすべて民宿泊まりで、1日に歩くのは20kmくらいにしているのだそうだ。そんな余裕のある歩き方をするのも大事だと思ってしまう。
内海町に入る。時間は2時半になっていた。
ここには「DE・あい・21」という大きな施設がある。野宿一覧表ではここにも泊まれるらしいのだが、今日は休館日であった。この建物の上には天文台のようなドームが作られていて、けっこう目立つ建物なのだ。
内海町から、遍路道は国道を離れて柏坂越えの道になるのだが、私はこのまま国道を行くことにした。山道が嫌なのではなくて、国道を行くと温泉があって、その向かいにキャンプ場があるのだ。
内海町を過ぎると900mの長いトンネルを抜けるのだが、このトンネルには車道とは別に歩行者用のトンネルがあった。助かる。
トンネルを抜けると小さな公園があって、ここで少し休憩。時間は3時になっていた。
海沿いに歩いて行くと内海中学校があって、これを過ぎたところに「ゆらりの湯」という温泉があった。そしてこの向かいには広い公園がある。キャンプ場もあるのだ。
温泉には1550分から18時までいて、それから公園に行って、広い芝生の中にテントを張った。


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松尾峠


峠からは海が見える


是より伊予の国宇和島藩支配地の碑


観自在寺の山門


観助剤寺本堂


内海展望所、東屋がある。


DE・あい・21


ゆらりの湯





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